死を賭した菅さんを葬る東電マスコミ
宇佐美 保
昨日(3月15日)帰宅し、東京新聞夕刊を開くと、一面左上に次のヘッドラインの記事が目に飛び込んできました。
「幹部死んだっていい」「俺も行く」 3・15菅氏発言東電詳細記録 |
記事の内容は以下に引用させて頂きます。
水素爆発が相次ぎ福島第一原発事故が危機的状況に陥っていた昨年三月十五日未明、菅直人首相(当時)が東京電力本店に乗り込んだ際の「六十(歳)になる幹部連中は現地に行って死んだっていいんだ。俺も行く」などとの発言を、東電が詳細に記録していたことが十五日、分かった。 菅氏の東電訪問は政府の事故調査・検証委員会の中間報告などでも触れられているが、記録からは、東電が第一原発から全面撤退すると考えた菅氏が、かなり強い口調でできる限りの取り組みと覚悟を迫っていたことがうかがえる。 記録によると、本店二階の緊急時対策本部に入った首相は、政府・東電の事故対策統合本部の設置を宣言。 「このままでは日本国滅亡だ」 「プラントを放棄した際は、原子炉や使用済み燃料が崩壊して放射能を発する物質が飛び散る。チェルノブイリの二倍三倍にもなり、どういうことになるのか皆さんもよく知っているはず」と強い危機感を示した。 さらに「撤退したら東電は百パーセントつぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ」と迫った。 東電の事故対応について「目の前のことだけでなく、その先を見据えて当面の手を打て」 「無駄になってもいい。金がいくらかかってもいい。必要なら自衛隊でも警察でも動かす」と、改善を求めた。 十五日未明の段階では、2号機も水素爆発の恐れがあった。状況説明に対し、菅氏が「何気圧と聞いたって分からないじゃないか」といら立つ場面もあった。 菅氏は対策本部に大勢の東電社員がいるのを見て「大事なことは五、六人で決めるものだ。ふざけてるんじゃない。小部屋を用意しろ」と指示、勝俣恒久会長ら東電トップと対応を協議した。 菅氏が撤退を踏みとどまるよう求めた発言と、対策統合本部の設置について、福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)は「(危機対応として)一定の効果があった」と評価している。 今月十四日の国会の事故調査委員会では、菅氏の東電訪問時の映像(音声なし)が残っていることが明らかになった。
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この記述から、菅さんが自らの命を捨てる覚悟で、原発事故処理に立ち向かっていたことが判ります。
そこで、この件が今夜のテレビを独占するのではないかと、テレビ朝日の「報道ステーション」にチャンネルを合わせましたが、「午後9時5分ごろに、茨城県南部と千葉県北東部で震度5強の地震が発生」に関する報道で、最後まで、菅さんの件は何も報道されませんでした。
他の新聞のウェブサイトを検索しても、このような記事を探すことは出来ませんでした。
東京新聞の特ダネだったのでしょうか?
(それとも他紙は頬かむり)
しかし、東京新聞は「東電が詳細に記録していたことが十五日、分かった。」と書かれていますがどのような経緯で分かったは書かれていません。
この菅さんの「60になる幹部連中は現地に行って死んだって いいんだ。俺も行く」を自ら実践していた様子が、週刊文春(原発崩壊3・11私はそこにいた 2012.3.8号)に於ける藤吉正春氏(福島原発事故独立検証委員会ワーキンググループ)の記述に見ることが出来ます。
……朝五時、菅首相がベントができていないことを知った時だった。首相は枝野官房長官の反対を聞かず、ヘリで第一、原発に向かうと言い出したのだ。 一方、この事態に怒ったのは、吉田所長だった。菅首相の突然の訪問予定を知ると、東電本店とのテレビ電話回線を使って、激しい口調で「私が総理の対応をしてどうなるんですか」とやり取りをしている。ベントができないのは、余震や停電、放射線量の上昇で作業が難航していたためだ。 現場がベントをためらっているわけではなかった。 菅首相はこの時から直接現場に関与する手法を取っていく。大きな声で自分の意見を強く押し通すスタイルは、重大な決断を下すうえで効果的だったと首相周辺は評価する。が それに萎縮する者が出たのも事実である。ヘリの中で萎縮したのは、班目氏だった。 今後の懸念を伝えようとする斑日氏に、菅首相は「俺の質問にだけ答えろ」と、それを許さなかった。 会話は一問一答という形に限られ、菅首相は「水素爆発は起こるのか?」と聞いた。 「格納容器の中では窒素で全部置換されていて、酸素がないから爆発はしません」と、班目氏は答えた。 格納容器から原子炉建屋へ水素が漏れる事態を想定しなかったのだ。だが、十二日に一号機で水素爆発が起き、班目氏は、一気に菅首相の信頼を失うことになる。 原発に到着した菅首相らは、放射線量などお構いなしにずんずんと免責重要棟に入っていくと、吉田所長と対面した。菅首相の気迫を前に、吉田所長はこう言った。 「決死隊をつくってでもやります」 のちに菅首相は野党からこの時の行動を、「現場の作業を妨げた」と批判された。だが、当時、免責重要棟にいた関係者に私が聞いた範囲では、それはなかった。 なぜなら、吉田所長と武藤栄副社長の二人が、部下たちに総理のお出迎えをさせず、自分たちで受けて立ったからである。 菅首相は官邸に戻ると、枝野官房長官にこう感想を伝えている。 「吉田という所長はできる。あそこを軸にしてやるしかない」 午前九時四分、一号機のベント作業が始まった(菅首相が急がしたから早まったというわけではない)。しかし、十五時三十六分、一号機の建屋は水素爆発を起こしたのである。 |
「原発に到着した菅首相らは、放射線量などお構いなしにずんずんと免責重要棟に入っていく」との菅さんの行動は、東電幹部の前で息巻いた「60になる幹部連中は現地に行って死んだって いいんだ。俺も行く」の有言実行、実践垂範の表れではありませんか!?
だからこそ「菅首相の気迫を前に、吉田所長はこう言った。「決死隊をつくってでもやります」」との決着を見たのだと私は感じます。
しかし、菅さんの「俺も行く」ほどの覚悟もない、又、その覚悟を感じ取ることが出来ず「後出しジャンケン」を平気で行う様な方々の記述では、「菅首相が急がしたから早まったというわけではない」というカッコ書きを行うのだと私は思うのです。
そして、多くのマスコミの方々も全く“菅さんの「俺も行く」”を感じ取れず、(又は、故意に無視して)「菅叩き」を行い、今も行い続けているのでしょう。
例えば、菅さんが福島の方をお見舞いに行った際、
被災者の方が“もう帰っちゃうのですか!?”と菅さんを非難した映像 |
を何度も流したりしました。
被災者の方にはそれなりの思いがあったかもしれません。
又、マスコミの菅バッシングの影響を受けていなかったとは言えないでしょう。
それよりも、“菅さんの「俺も行く」”の思いをマスコミが汲み取り、皆に伝えていたら、菅さん非難が全国的に湧き上がっていることはなかった筈です。
先の拙文≪英雄レスキュー隊の出動を遅らせたのは石原都知事?!≫に記述しましたように、「東京消防庁消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー)に出動に関して」、当初「車は出すが、人は出さない」との暴言を吐いた石原都知事ごとき人物が、巧みな(?)パフォーマンスで人気を博しています。
天皇陛下が“強制はいけませんよ”とおっしゃっている事実を無視し、石原氏同様に、「君が代、日の丸」を強制する橋下徹氏迄もが人気を博しています。
日本人の感性の劣化を痛感します。
国会議員の方々も、菅さんの思いを理解されていたのでしょうか?
東京新聞(2011年4月13日)には次の記述を見ます。
自民党の石破茂政調会長は「チェルノブイリと同等になったのはかなり深刻な事態。どう対処するのか、政府は説明責任がある」、小池百合子総務会長も「(政府の)初動が遅れたことが、レベルを上げてしまったのではないか」と述べた。 |
石原慎太郎氏を含めて、常時、“国民はいざという時には命を捨てる覚悟を持て!”と憲法改正を目論み発言される方々が、菅さんの命を捨てる覚悟での原発事故対策、その端緒でもある原発訪問を「カイワレ大根パフォーマンス」程度にしかご理解されなかったのだと思うと悲しくなります。
国会では、菅さんの尋問を行うとか言ってるそうですが、その前に国会議員全員が菅さんの“菅さんの「俺も行く」”の思いに感謝すべきと存じます。
もちろん、私も改めて感謝いたしております。
そんな中で、冒頭の記事を掲げて下さった東京新聞にも深く感謝いたします。
(そして、いつも記事を引用させて頂いていることに感謝いたしております)
(蛇足?)
一昨日も朝日新聞の拡販員の方が、“3ヵ月だけで良いから、購読して”との依頼を受けてしましましたが、その感謝の一端として、”東京新聞の購読は続ける”と宣言しました。
それでも、拡販員の奥さんも幼稚園前の二人のお子さんを知人に預けながらも、朝から晩まで働いているというので、東京新聞と共に朝日新聞も(3ヵ月だけ)購読する事となってしましました。
でも、朝日新聞社の方々は、このような拡販員さんたちのお蔭で、高給を食んでおられるのでしょう。
(追記)
高給の確保の為かわかりませんが、川村晃司氏(テレビ朝日コメンテーター)のように「東電の走狗に変身」されてしまわれたと思える方が居られるのは残念で堪りません。
(拙文≪川村晃司氏は東電の走狗に変身!?≫をご参照ください)
更には、≪原発非常時冷却システムを撤去していた勝俣会長≫へと続けさせてください。
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